どうも、元海上自衛官のお遍路・ひだりゅー(@dakahi3776)です。
四国八十八ヶ所を全て回ったお遍路さんの中には、弘法大師が今なお禅定を続けているとされる「高野山 奥の院」へ「お礼参り」する方が多くいます。
かくいう私も雪の舞い散る中、大師の元へと行ってきました。
(参拝した日:2015年11月27日)
目次
阿呆は雪道をバイクで突き進む・・・
11月下旬。
まだ紅葉がチラホラと残っている和歌山県。
僕がお礼参りに行った前日はポカポカ陽気な晴れ模様だったはずなのに・・・
まさかの雪模様ッ!?
前日の晴れ晴れした天気から、何も考えずにバイクで行ったので、国道370号のウネウネした山道で転倒しないか気掛かりで仕方がない。
ちなみに気温0℃。あと少し気温が低かったら路面が凍結していたかも・・・
我ながらよく生きて帰れたなぁ~
奥の院への行くための二つの入口
弘法大師がいる「御廟」へ行くには
・「一の橋」(バス停:奥の院口)からのルート
・「中の橋」(バス停:奥の院前)からのルート
の二つがあります。
2つのルートは途中で合流し、御廟へと続きます。
一の橋|正式な参道入口
一の橋からのルートが正式な参道で、ここが「表参道」となります。
一の橋の入口から、弘法大師が今も瞑想を続ける「御廟」まで続く参道は約1.9km。
中の橋|「しろあり慰霊碑」などユニークな慰霊碑が立ち並ぶ
続いては「中の橋」からのルート。
中の橋の前には大きな駐車場があり、観光バスや自家用車で参拝する人はこちらの参道を使うことが多いです。
一の橋からのルートが正式な参道であることから、こちらは「裏参道」と呼ばれています。
裏参道の特徴は、企業のユニークな慰霊碑ですね。
上の写真は「新明和工業 慰霊碑」で、ロケットは歴史上初めて人類を月面に到達させたアポロ11号を模したもの。
ちなみに新明和工業は飛行機の部品メーカーではありますが、HPを見る限り別に宇宙開発に携わったというわけではないみたいです。
・・・なぜ、ロケットなんだ?
続いては、「社団法人 日本しろあり対策協会」のしろあり慰霊碑。
そのシュールさからおもしろ画像サイトで時たま取り上げられ、今では一種の観光地と化しているのだとか・・・
裏参道沿いにこのような変わった慰霊碑が立ち並ぶのは、観光客に対する宣伝目的もあるそうです。
20万もの墓所が並ぶ奥の院参道
参道の両脇には20万もの墓や供養塔、慰霊碑が立ち並んでいます。
中でも戦国大名の6割以上の墓がこの参道沿いにあるとも言われ、その中にはあの織田信長や豊臣秀吉のものもあります。
これらの墓所や鬱蒼と茂る木々、そしてそれらに積もる雪が参道を神聖かつ荘厳な雰囲気にしています。
日本中色んな所に行きましたが、こんな独特な場所は他にはありません。
豊臣家 墓所
秀吉の墓は中央の大きいもので、前面にあるのが豊臣一族の墓。
「高野山ガイドブック」によると、これらは死後ではなく生前に建立されたものだそうです。
墓の中には、秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造がおさめられているという言い伝えがあります。
越前 結城秀康 霊屋
重要文化財。 右側が徳川家康の次男「結城秀康(ゆうきひでやす)」の石廟。
左側が母親である「お万の方」の石廟となります。
越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で作られており、当初は極彩色だったそうです。
ちなみに「結城秀康って誰やねん?」って方のために彼が登場する作品を2つ紹介。
「俺は最強最悪の鬼武者だぜ(至言)」
あの大人気ゲーム「新 鬼武者 DAWN OF DREAMS」の主人公「蒼鬼」の正体がこの結城秀康なのです。
彼には色々とお世話になった方もきっと多いでしょう(金銭的な意味で)
あとは・・・
漫画「花の慶次」で主人公・前田慶次と最後に戦ったのがこの結城秀康だったりします。
なお、ネットでは慶次に謝罪した際のこのコマがよくネタにされます。
もういい加減に許してやれよ・・・
聖地・弘法大師御廟へ・・・
御廟橋|ここから先は聖地ゆえ写真撮影禁止
御廟の少し手前にあるのが「御廟橋(ごびょうばし)」。
橋板が36枚、橋全体を1枚として、金剛界の37尊を表し、橋板の裏には仏を表す梵字が書かれています。
弘法大師がこの橋まで参拝者を出迎えに来てくれ、帰りはお見送りしてくれているので、行き帰りで橋を渡る際は御廟に向かって合掌、一礼しましょう。
ここから先は、大師信仰の中で最も重要な聖域であるため、写真撮影禁止となっていますので要注意!
橋を渡ってから燈籠堂の間の左手には「弥勒石(みろくいし)」という黒い石が安置されているお堂があります。
善人には軽く悪人には重く感じられる石で、私は頑張って持ち上げようとしたのですが、残念ながら無理でした。
ちょっと邪心が多すぎたみたいですねw
燈籠堂と弘法大師御廟
御廟橋からまっすぐ参道を進み、石段を登ると「燈籠堂」があります。
高野山第二世真然大徳によって建立され、平安時代の治安3年(1023年)に藤原道長によって、ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられています。
現在の建物は昭和40年(1965年)に建造されたもの。
堂内には、天皇から貧しい人までたくさんの方々の願いが込められた2万を超える燈籠が奉納されています。
燈籠堂の中に入り左手に進んでいくとお堂の裏に回り込め、そのまま進むと「弘法大師御廟」に辿り着きますので、ここで遍路満願の報告をします。
御廟所地下には石室があって、大師は今もその中で瞑想していると伝えられています。
御廟に30センチほどの穴があり、そこから弘法大師が出たり入ったりしているとのこと。
余談ですが、日本で一番最初に入定したのは、他でもない弘法大師だそうです。
燈籠堂の右側には地下に入る階段があり、下った先には奉納された奉納された5万体もの小さな弘法大師像が並んでいます。
その最奥部に弘法大師に一番近づくことができる祭壇があります。
地下室には弘法大師が描かれた絵が掲げられていますが、この絵の位置が弘法大師が瞑想している場所と同じ高さだそうです。
御供所で納経してもらいお礼参りを終える・・・
弘法大師への結願の報告が終わった後は、御供所(ごくしょ)で納経してもらいました。
これが最後だと思うと感慨深いものですね。
正直言えば、少し泣きました。
私が涙を流したのは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のシンジ君が覚醒シーンを見た時以来ですね・・・
弘法大師御影は納経とは別志納で白黒(200円)とカラー(300円)の2種類があります。
何はともあれ、これで僕の人生初のお遍路は終了となりました。
最後の最後までいろいろなことがあったけれども、終わってみると人生観がガラリと変わってしまうほどの良い旅路でした。
ここまで読んでくれた皆さんも、ぜひ人生で一度はお遍路をしてみてください!
高野山奥の院へのアクセス
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山550
その他情報
寺名 | 金剛峯寺 奥の院(高野山 奥の院) |
宗派 | 高野山真言宗 |
駐車場 |
【中の橋駐車場】 台数:乗用車186台/大型16台/小型10台 料金:終日無料 【表参道一の橋駐車場】 台数:乗用車8台(内1台は障害者専用) 料金:最初の1時間400円、それ以降30毎に150円 |
電話 | 0736-56-2002 |
最後まで当ブログにお付き合いくださって、どうもありがとうございました。
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by.ひだりゅー@元自衛官
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