どうも!好きな魔道具は風神、嫌いな魔道具は天堂地獄である元自衛官・ひだりゅー(@dakahi3776)です。
今回紹介する83番札所「一宮寺(いちのみやじ)」は、元々は讃岐一宮・田村神社の別当寺として整備された霊場であります。
境内には、悪い人が頭を入れると抜けなくなる「地獄の釜」なるものがあるらしいですが・・・?
(参拝した日:2015年11月4日)
目次
一宮寺の歴史
一宮寺は、飛鳥時代の大宝年間(701~703年)に法相宗の祖、義淵(ぎえん)が開いたと伝えられています。
和銅年間(708-715)、諸国に一宮寺が建立の際、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となりました。
当初は年号にちなみ大宝院と称していましたが、別当寺となった際に行基が堂宇を修復し、一宮寺に改名されました。
平安時代に入った大同年間(806~810年)、弘法大師が一宮寺の再興にあたり、、聖観音菩薩を彫刻し本尊として安置。
この時に真言宗に改宗されたと伝えられています。
戦国時代の天正年間(1573~1592年)には、一宮寺も長宗我部の侵攻により兵火にかかり消失しますが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。
江戸時代の延宝7年(1679年)、当時の高松藩主である松平頼常によって田村神社の別当寺を解職。
これにより明治の神仏分離より200年も早く神仏の分離が行われ、歴史上でも珍しい出来事となりました。
悪人は頭が抜けない「地獄の釜」伝説
画像出典:Wikipedia
一宮寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠があります。
これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがあります。
一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われます。
以下、一宮寺に言い伝えられる地獄の釜伝説↓
昔むかし、このお寺の近くに、意地悪なおタネばあさんが住んでいました。
ある日近所の人から悪人が頭が抜けなくなる「地獄の釜伝説」を聞いたおタネさんは「そんなことはないだろう」と試しに頭を入れてみたのです。
するとたちまち扉が閉まり、ゴォーーッという地獄の音が聞こえてくるではありませんか。
おタネさんはあわてて頭を抜こうとしましたが、どんなに力をこめても抜けません。
怖くなったおばあさんは、「今までのことは許してください。もう意地悪はしません」と、泣きながら何度も何度も謝ると扉は開き、頭がすっと抜けました。
それからおタネさんは心を入れ替え、親切なおばあさんとなり、近所の人とも仲良く暮らしたということです。
大物Youtuberのヒ○ルさん!
今こそ地獄の釜に頭を入れて謝罪しましょう(提案)
境内の施設
仁王門(&西門)
屋根瓦葺きの表門で、両脇の仁王尊立像は京都の仏師・赤尾右京の作。
旅の道中安全を祈願する意味を持つ大わらじが奉納されています。
自動車で参拝する方は、こちらの西門が近いです。
本堂
現在の本堂は、十方施主により再建されました。
弘法大師作といわれる高さ106cmの聖観音菩薩が納められています。
普段は非公開ですが、8月10日に行われる「千日会」では本尊が開帳されます。
大師堂
「一宮のお大師さん」として親しまれる大師堂。
中を覗くと天井一面に先祖供養・家内安全を祈願した吊灯籠がズラリとぶら下がっており、その光景はなかなか壮観でありました。
奥に鎮座する大師像を拝顔できます。
京の名工・藤井稔氏の庭園
一宮寺の目を引く庭園は、京都にある藤井造園の園主・藤井稔氏によって造られました。
「庭に完成はなく、見るたびにさまざまな思いを感じるような庭造り」
皆さんも現代の名工にも選ばれた藤井氏の作品を見ながら、参拝を楽しんでみては?
一宮寺へのアクセス
〒761-8084
香川県高松市一宮町607
その他情報
寺名 | 神毫山 大宝院 一宮寺 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建 | 大宝年間(701〜704年) |
開祖 | 義淵僧正 |
真言 | おん あろりきゃ そわか |
ご詠歌 | 讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしらいふ |
駐車場 | 普通車40台・大型車20台 午前7時〜午後5時 無料 |
宿坊 | あり(団体のみ・要予約) |
電話 | 087-885-2301 |
HP | 【公式HP】一宮寺 四国霊場第八十三番札所(香川県高松市) |
前後の札所
82 根香寺 -- (11.9km)-- 83 一宮寺 -- (13.6km)-- 84 屋島寺
by.ひだりゅー@元自衛官
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