どうも、よく「キミ、肌白いねぇ」って言われる元自衛官・ひだりゅー(@dakahi3776)です。
今回紹介する81番札所「白峯寺(しろみねじ)」は、79番札所「天皇寺」同様、崇徳天皇との縁が深い霊場となっています。
ではでは、どうぞ~
(参拝した日:2015年10月29日)
目次
白峯寺の歴史
白峯寺は、弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されたと伝えられています。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地に訪れ、白峯山の山頂に如意宝珠を埋め、仏に供える水を汲む井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立しました。
貞観2年(860年)、瀬戸内海上に光り輝く流木が出現。
智証大師はこの光が照らす先にあった白峰を登り、山中を巡検して居ると白髪の老翁に扮した白峯大権現と出会います。
白峯大権現から神託を受けた智証大師は、海上の光り輝く霊木を陸に引き上げ、千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられます。
79番札所 天皇寺で紹介した崇徳天皇の遺言により、白峯寺境内にある稚児嶽で荼毘に付され陵墓が造られました。
境内の施設
山門(七棟門)
江戸時代、享保3年(1803年)に再建。
高麗形式の門の左右に2棟の塀を連ねた珍しい堀重門で、全部合わせると7棟になることから「七棟門」と呼ばれています。
本堂
境内の石段を登り切った先にあるのが白峯寺本堂。
開基以来、数度の火災に見舞われ、現在の本堂は安土桃山時代の慶長4年(1599年)に再興されたものです。
毎年7月10日、本尊千手観音が開帳されます。
大師堂
石段を上り詰めた先にある本堂、その右手に白峯寺大師堂が建てられています。
江戸時代、文化八年 (1811年)に高松藩藩主によって再建されたもの。
中央に弘法大師、左に稚児大師、右に青面金剛が祀られています(すべて秘仏)。
勅願門
室町時代の応永21年(1414年)に後小松天皇奉納の勅額(重要文化財)を掲げた門。
本物の勅額は宝物館にあり、門にはレプリカが掛けられています。
普段は扉が閉められ見えないのですが、門の両脇には源為義と源為朝の武者像が守護しています。
頓証寺殿|崇徳天皇の廟
崇徳天皇の廟所(特定な人物を祀る建物)で、拝殿と奥殿に分かれています(写真に写るのは拝殿)。
奥殿には三つの社があり、それぞれ中央に崇徳天皇が祀られ、向って左に鎮守白峰大権現、同右に念持仏十一面観世音菩薩が祀られています。
現在の建物は延宝八年(1680年)高松城主・松平頼重、頼常によって再建されたもの。
また、ここで崇徳天皇と親しかった西行法師が鎮魂のために詠んだ句
よしや君 昔の玉の
床とても かゝらん後は 何にかはせん
は、現代でも広く知られる名作であります。
十三重塔
出典:Wikipedia
源頼朝が崇徳天皇菩提の為に建てた供養塔と伝えられ、頼朝塚とも言われています。
参道の杉木立の中に二基存在し、正面から見て左は弘安元年(1278年)、右は元享四年(1324年)の銘が刻まれています。
国の重要文化財に指定。
十二支守り本尊と七福神
白峯寺では、参拝者の開運厄除・身体健固等を祈願し、境内に十二支守り本尊と七福神像を祀っています。
写真の「行者堂」は、干支「丑・寅」に対応するお堂です。
以下、対応表↓
お堂 | 干支 | 七福神 |
本堂 | 子 | 毘沙門天 |
大師堂 | ー | 大黒天 |
阿弥陀堂 | 午・戌・亥 | 布袋尊 |
行者堂 | 丑・寅 | 寿老人 |
薬師堂 | 未・申 | 福禄寿 |
護摩堂 | 辰・巳・酉 | 弁財天 |
頓證寺殿 | 卯 | 恵比寿 |
白峯寺へのアクセス
〒762-0016
香川県坂出市青海町2635
その他情報
寺名 | 綾松山 洞林院 白峯寺 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建 | 弘仁6年(815年) |
開祖 | 弘法大師、智証大師 |
真言 | おん ばざら たらま きりく |
ご詠歌 | 霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法の声々 |
駐車場 | 普通車 (門前)30台、 第二、第三駐車場 200台 午前7時〜午後5時 無料 |
宿坊 | あり(団体のみ・要予約) |
電話 | 0877-47-0305 |
HP | 白峯寺::四国霊場第81番札所:: |
前後の札所
80 讃岐国分寺 -- (6.5km)-- 81 白峯寺 -- (5.0km)-- 82 根香寺
by.元自衛官・ひだりゅー
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