どうも、五頭身ボディを持つ伝説の男こと、元自衛官ひだりゅー(@dakahi3776)です。
さて、今回紹介する70番札所本山寺(もとやまじ)は、長宗我部軍の戦火を免れた国宝・本堂が見所の霊場です。
また、シンボルである五重塔の再建にあたって、ある不思議なエピソードが・・・?
(参拝した日:2015年10月27日)
目次
本山寺の歴史
寺伝によれば、大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、弘法大師が刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創されました。
当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜で建立したという伝説が残ります。
中世には寺領2000石(大体お米300トン)、およそ2万平方メートルの広大な境内に24坊を持つ大寺となって栄えました。
戦国時代、天正の兵火で長宗我部軍が兵火を受け、本堂と仁王門以外の大部分の施設を焼失。
その後、江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興され、天保年間(1830年~1844年)に本山寺と改称されました。
境内の施設
仁王門|戦火を免れた重要文化財
室町時代中期建立、全国でもほかに例のない三間一戸八脚門で国の重要文化財に指定されています。
建築様式は和様を基調としていますが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れているのが特徴です。
おそらく最近に改修されたのか、室町時代完成の割にはそんな古い感じがしなかったです。
本堂|国宝。太刀受けの弥陀伝説。
国宝。
大師が一晩で作り上げた伝説が残っていますが、現在の本堂は鎌倉時代後期の正安2年(1300年)に再建されたもの。
本尊は頭上に馬の頭を乗せた馬頭観世音菩薩。
四国霊場では唯一のもので、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、抵抗する住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため、本堂は兵火を免れたという逸話が残されています。
それ以来、この阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれ、信仰を集めています。
大師堂
大師堂は本堂正面から見て、右手に建っています。
寛政7年 (1795年)に建設された、入母屋造屋根の三間堂です。
大師堂左手には立派な大師像があり、カメラ好きにはぜひ本堂、五重塔とセットで撮影してもらいたいですね。
五重塔|本山寺のシンボル。住職の不思議なエピソードも
四国霊場でも4つしか無いとされる五重塔の一つで高さ約38m。
明治時代、本山寺住職の頼富実毅(よりとみじっき)が四国巡礼中に盲目を回復し、奇跡的に目が見えるようになりました。
彼はその恩に報いるため、明治43年(1909年)にボロボロだった五重塔を再建しました。
私が参拝した2015年10月は、五重塔が平成の大修復の最中でしたので、2017年の今行ったらもっとキレイな五重塔が拝めるかもしれませんね。
鎮守堂
室町時代末期の様式を残す桧皮葺き屋根の小さな社。
南北朝時代に彫刻された請雨秘法の霊神・善女龍王が祀られています。
鎮守堂、善女龍王像ともに香川県指定有形文化財です。
本山寺へのアクセス
〒769-1506
香川県三豊市豊中町本山甲1445
その他情報
寺名 | 七宝山 持宝院 本山寺 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 馬頭観音 |
創建 | 大同2年(807年) |
開祖 | 弘法大師 |
真言 | おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか |
ご詠歌 | もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる |
駐車場 | 普通15台・中型5台・大型3台 |
宿坊 | なし |
電話 | 0875-62-2007 |
前後の札所
68 神恵院 & 69 観音寺 -- (4.5km)-- 70 本山寺 -- (11.3km)-- 71 弥谷寺
by.ひだりゅー
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