どうも、元自衛官ひだりゅー(@dakahi3776)です。
どこの世界にも異端児というものはいるもので、四国霊場88ヶ所ではここ62番札所「宝寿寺(ほうじゅじ)」がそれに当たります。
後述しますが、ここの納経所は営業時間が他と違い
午前8時~12時
午後1時~5時
と、なっているので参拝者は注意して下さいね。
(参拝した日時:2015年10月23日15:30頃)
目次
宝寿寺の歴史
寺伝によれば、聖武天皇の勅願によって天平年間(729年~748年)に、大和の僧・道慈律師によって建立され、金剛宝寺と名付けられました。
弘法大師がこの宝寿寺を訪ねたのは大同年間(806〜810年)のことで、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造して、これを本尊とし現在の寺名に改めました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の戦禍によって荒廃するも、1636年(寛永13年)宥伝上人によって現在地付近に移されて再建されます。
明治初期の廃仏毀釈によって廃寺となりましたが、大石龍遍上人によって1877年(明治10年)に再興。
1921年(大正10年)に予讃線工事に伴い西へ100mほど移転し、現在に至ります。
境内の施設
本堂(旧大師堂)|安産の観音様
本堂は老朽化のために工事中で、元々大師堂だった建物に本尊を移動していました。
ある日、国司だった越智氏の夫人が難産で苦しんでおり、弘法大師に祈念を頼みました。
大師が御本尊に祈願した宝寿寺境内の玉ノ井の水を越智夫人に与えたところ、無事玉のような男子を出産したことから、本尊は安産の観音様として信仰を集めました。
新大師堂
旧大師堂にあった大師像を移動した新設のお堂。
納経所のお昼休みと2つの62番札所
他の霊場の納経時間は、基本的に7:00~17:00までに統一されています。
が、ここ宝寿寺だけは納経時間が違うので参拝者の方は要注意です。
【納経時間】
8:00~17:00(12:00~13:00)
なお、自分は全く知らずに行ったのですが、15時半ごろだったこともあり、普通に納経してもらえました。
ネットでは住職が参拝者に暴言なんて書いてありましたが、僕に対しては至って普通の対応だったと記憶しています。
(ちなみに唯一態度が悪かった納経所は41番龍光寺ですかねw)
ちなみにもし宝珠寺参拝が正午頃になりそうならば、四国八十八ケ所霊場会により、61番札所香園寺の駐車場内に62番札所の仮設礼拝所および納経所が設置されているので、こちらを利用してみるのも良いかもしれませんね。
四国八十八ケ所霊場会脱退騒動
去年、お遍路で参拝する寺院などで結成された任意団体「四国八十八ケ所霊場会」が、宝寿寺の住職に対し「参拝者への暴言や暴行で巡礼を妨害し、霊場の名誉、信頼を損なっている」として、妨害行為の禁止などを求めて高松地裁丸亀支部に提訴しました。
これに対し、住職は「霊場会の会員になった覚えはなく、納経所の運営は霊場全体で統一的に行う必要はない」として、住職就任の際に霊場会の会員にはならないと通告したと反論しました。
そして、今年3月、高松地方裁判所丸亀支部は、「宝寿寺は霊場会の正会員とは認められず、規則を履行する義務はない」、宝寿寺の霊場会からの脱会を認める判決を下しました。
いやはや、お遍路の世界文化遺産登録の動きもあるので、今後この騒動が尾を引かないことをただただ祈るばかりですね・・・
宝寿寺へのアクセス
〒799-1101
愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
その他情報
寺名 | 天養山 観音院 宝寿寺 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建 | 天平年間(729〜749年) |
開祖 | 聖武天皇 |
真言 | おん まか きゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | さみだれの あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮川 |
駐車場 | 大型2台 |
宿坊 | なし |
電話 | 0898-72-2210 |
前後の札所
61 香園寺 -- (1.3km)-- 62 宝寿寺 -- (1.4km)-- 63 吉祥寺
by.ひだりゅー
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