どうも、元自衛官ひだりゅー(@dakahi3776)です
61番札所「香園寺(こうおんじ)」は、聖徳太子が開創したという四国霊場屈指の古刹であると同時に、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えているトンデモ霊場であります。
特に1番から順打ちしているお遍路さんにとっては衝撃だらけの札所になること間違いありません。
(参拝した日:2015年10月23日)
香園寺の歴史
縁起によると、用明天皇(在位585〜87年)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられます。
このとき、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられます。
弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)で、ある日、香園寺の門前で身重の婦人が苦しんでいました。
大師が栴檀の香を焚いて加持、祈祷をすると婦人は元気な男の子を無事に出産しました。
これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、香園寺を霊場に定めました。
「天正の兵火」で焼失するも、江戸時代に入り小松藩主一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年~1644年)に再興されます。
1903年(明治36年)、住職になった山岡瑞園大和尚により、1914年(大正3年)に本堂を再興。
さらには1918年(大正7年)に「子安講」を創始し、全国はおろか東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力しています。
1976年(昭和51年)本堂は妙雲寺(四国曼荼羅霊場第34番札所)に移築され、その跡地に、高さ16mの鉄筋コンクリート造りの大聖堂が建立されました。
境内の施設
大聖堂|近代的で巨大なコンクリート造りのお堂
香園寺には、四国霊場では珍しい本堂と大師堂を兼ね備えた「大聖堂」なる建物が特徴となっています。
昭和51年に建立、褐色の鉄筋コンクリート造りで高さ16m。
本尊と大師像は2階にあり、建物の左側の外階段から堂内に入ることが出来ます。
そして、いざ2階に行くとさらに度肝を抜く光景が・・・
な、なんじゃこりゃ(驚愕)
大聖堂2階には、大きくて金ピカな本尊「大日如来」を中心に、620の椅子が備え付けてありました。
その光景は、お寺というよりは映画館や会議場を連想させます。
大師像は、本尊右手にありました。
今まで60もの札所、及び日本中の著名な寺院を周ってきた僕ですら初めて見る光景に驚きを隠せません。
いやぁ~良いものが見れたべw
子安大師
大聖堂を正面に見て右手前には、子安大師像が建てられていました。
1918年(大正7年)に住職・山岡瑞園大和尚により、安産祈願のために婦人が集まって子安神を祭る信心講「子安講」が創設されました。
現在では全国はおろか海外にもその輪が広がり、現在参加者は2万人を超えています。
なお、香園寺の納経所ではこれまた珍しく御姿を2枚頂きました。
一枚は、本尊・大日如来。
もう一枚は背中にゴザ、右手に錫杖、左手に赤ん坊を抱いた子安大師の肖像です。
駐車場の納経所|62番札所が2つ!?
香園寺の駐車場内に62番札所「宝寿寺」の仮設礼拝所および納経所が設置されています。
これは、納経所の営業時間が他の霊場と異なる宝寿寺へ参拝するお遍路さんのためのものと思われます。
他にも、四国八十八ヶ所霊場会側からの宝寿寺の脱退騒動へのアンサーという意味合いもあるのかも・・・
詳しくは下記の記事よりどうぞ↓
香園寺へのアクセス
k〒799-1102
愛媛県西条市小松町南川甲19
その他情報
寺名 | 栴檀山 教王院 香園寺 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 大日如来 |
創建 | 六世紀後半 |
開祖 | 聖徳太子 |
真言 | おん あびらうんけん ばざらだどばん |
ご詠歌 | 後の世を 思へば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白瀧の水 |
駐車場 | 第一駐車場(常時) 普通25台 第二駐車場(繁忙期) 普通50台・大型3台・終日・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 0898-72-3861 |
HP | ===四国第六十一番霊場 総本山香園寺=== |
前後の札所
60 横峰寺 -- (9.7km)-- 61 香園寺 -- (1.3km)-- 62 宝寿寺
by.ひだりゅー
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