どうも、元自衛官ひだりゅー(@dakahi3776)です。
四国霊場には四県に国分寺があり、それぞれが札所に指定されています。
国の史跡に選ばれた庭園を持つ15番札所 国分寺(阿波国分寺)
「土佐日記」の紀貫之が滞在した29番札所 国分寺(土佐国分寺)
修行大師像と握手出来る59番札所 国分寺(伊予国分寺)
80番札所 国分寺(讃岐国分寺)
今回紹介する59番札所「伊予国分寺(いよこくぶんじ)」は、握手ができる修行大師像や病に霊験あらかたとされる「薬師のつぼ」などが見どころの霊場となっています。
(参拝した日:2015年10月23日)
国分寺の歴史
土佐国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって、行基が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられます。
後に弘法大師が長期にわたって滞在し、五大明王像を残したとされています。
伊予国分寺は、その長い歴史故に火災が多い札所の中でもトップクラスに燃えているお寺だったりします。
まず天慶2年(939年)の「藤原純友の乱」。
次に、元暦元年(1184年)の「源平合戦」。
3度目は南北朝時代の貞治3年(1364年)、讃岐・細川頼之の兵火。
そして、4度目は当サイトではお馴染みになりつつある長宗我部元親の「天正の兵火」によって、堂塔を焼失しました。
永沢君もトラウマで発狂しかねないくらいに燃えに燃えた伊予国分寺は荒廃し、元禄2年(1689年)に書かれた四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」と記される有様。
江戸時代後期になり、ようやく本格的に復興されます。
現在の境内は元々伊予国府があった場所で、かつての境内は東へやや離れた位置にあったとされます。
境内の施設
本堂
寛政元年(1789年)に再建されたもの。
度重なる戦火に見舞われた伊予国分寺ですが、幸い行基が彫った本尊は無事だったらしく、今なお奈良時代からの歴史を伝えているそうです。
奈良時代から平安時代にかけてはここに伊予の国府が置かれ、伊予の政治・文化の中心地でした。
大師堂
入り口から見て本堂の右斜め前方に建つのが大師堂です。
大師堂横には、後述する国分寺名物「薬師のつぼ」と「握手修行大師像」がありますので要チェック。
薬師のつぼ&握手修行大師像
大師堂前に並んで置かれているのが、伊予国分寺名物「薬師のつぼ」と「握手修行大師像」です。
まず薬師のつぼ。
これはその名の通り、伊予国分寺の本尊であり人々の病苦から救う医薬の仏「薬師如来」が左手に持っている薬壺(やっこ)をモチーフにした石像です。
写真のつぼのフタの辺りには「目」「頭」など体の部位名が彫られており、自分が不調な部位名をさすりながら祈願すると病苦快方のご利益があるそうです。
出典:Wikipedia
また、2014年に新造された手水舎にも「薬師のつぼ」が置かれていました。
手前に置かれたボタンを押すと葉っぱの先からちょろちょろと水が流れるエコ仕様な模様。
続いては、握手修行大師。
大師が右手を差し出しており、参拝者が自由に握手をすることができます。
僕が行った時は、ツアー遍路さん達と被った関係上、大師像の前にまるでアイドルの握手会のような長蛇の列が・・・
やっと握手にこぎつけた時は、ファン・・・否ッ!!キモオタさながらの悦びが体内に満ち満ちていました。
ブ、ブヒィィぃイィッwww
伊予国分寺へのアクセス
〒799-1533
愛媛県今治市国分4-1-33
その他情報
寺名 | 金光山 最勝院 国分寺 |
宗派 | 真言律宗 |
本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
創建 | 天平13年(741年) |
開祖 | 行基 |
真言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
ご詠歌 | 守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり |
駐車場 | 普通10台(200円) マイクロバス(500円) 大型3台(1,000円) 午前7時〜午後5時 |
宿坊 | なし |
電話 | 0898-48-0533 |
前後の札所
58 仙遊寺 --(6.1km)-- 59 国分寺 --(27.0km)-- 60 横峰寺
by.ひだりゅー
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