どうも、ひだりゅー(@dakahi3776)です。
四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの55番札所「南光坊(なんこうぼう)」だけです。
なお、徳川家康の側近であった「南光坊天海」とは、関係性がない模様。
それ以外にも、このお寺は四国霊場唯一の本尊・大通智勝如来が安置されていたり、第二次世界対戦の今治空襲で避難した人々を守ったとされる大師堂など、いろんなエピソードを持つ霊場となっています。
(参拝した日:2015年10月21日)
目次
南光坊の歴史
大宝3年(703年)、伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄が文武天皇の勅命をうけ、大三島(しまなみ海道を今治側から進んで3つめの島)に「大山祇神社」を建てました。
その翌々年、島に渡って参拝するのが不便だったために、24の僧坊のうち南光坊を含む8坊が四国本土に移動し、大山祇神社の別当寺(神社を管理するために置かれた寺のこと)の役割を果たし納経をつかさどっていたそうです。
(なお、これら8坊の移転がおこなわれたのが鎌倉時代だったとする説もあります。)
弘法大師は四国巡錫の時、この別当寺で法楽をあげて修法し、霊場に定めたと伝えられています。
戦国時代に入り、伊予の全土を襲った長宗我部元親の「天正の兵火」の際、本土に移動した八坊すべてが焼き払われることとなりました。
慶長5年(1600年)、藤堂高虎が今治藩主に任ぜられると八坊のうち南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月、今治空襲により大師堂と金比羅堂を残して焼失。
現在の本堂は昭和56年(1981年)、薬師堂は平成3年(1991年)に、山門は平成10年(1998年)に再建されたものとなっています。
境内の施設
山門|四天王が守る立派な門
「南光坊」の山門は、「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」の四天王が守る珍しいスタイルとなっています。
一般的な外側に仁王像がある山門の形ではなく内側も加えた四箇所に四天王を配置しています。
平成10年(1998年)に再建されたもので、それはそれは立派でデカい門でしたわぁ~
本堂|本尊は四国霊場唯一の大通智勝如来
画像左の建物が南光坊の本堂です。
昭和56年(1981年)に再建されたもので、本尊は過去世における釈迦如来の父でありまた師とされている大通智勝如来(秘仏)。
この大通智勝如来を本尊としているお寺は四国霊場では南光坊だけとなっています。
また、脇侍として弥勒菩薩と十一面観音を祀っています。
大師堂|空襲から住民を守った神聖なお堂
大師堂は、山門から境内に入ってすぐ右手に建てられています。
さて、第二次世界大戦時の空襲では境内の大部分の堂宇が焼失しましたが、大師堂は金毘羅堂とともにその戦禍を免れました。
その際、数多の焼夷弾が境内に落とされる中、そのいずれもが大師堂の屋根を滑り落ち、堂内にいた避難者の全員が無事であったと伝えられています。
弘法大師の聖なるバリア、マジで凄すぎますね・・・
南光坊へのアクセス
〒794-0026
愛媛県今治市別宮町3丁目1番地
その他情報
寺名 | 別宮山 金剛院 南光坊 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 大通智勝如来 |
創建 | 大宝3年(703) |
開祖 | 行基 |
真言 | なむ だいつうちしょう ぶつ |
ご詠歌 | このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても おなじ垂迹 |
駐車場 | 普通20台・マイクロバス2台・大型1台 終日・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 0898-22-2916 |
前後の札所
54 延命寺 -- (3.4km)-- 55 南光坊 -- (3.0km)-- 56 泰山寺
by.ひだりゅー
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