どうも、ひだりゅー(@dakahi3776)です。
今回紹介する53番札所「円明寺(えんみょうじ)」は、松山市内にある八つの寺の一番最後の霊場となります。
「和気の円明さん」として地域の人に愛される存在で、江戸時代には弾圧される隠れキリシタンをあたたかく見守っていた優しいお寺でした。
また、お遍路の歴史を探る上でも重要な発見もこの地でされました。
(参拝した日:2015年10月21日)
円明寺の歴史
寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされています。
当初は現在地より北、和気浜の西山という海岸にあったので、「海岸山・圓明密寺」という寺名でした。
後に弘法大師がこの地を巡錫し、荒廃した諸堂を整備したとされています。
鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24年)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移されます。
寛永13年(1636年)京都・御室の覚深法親王からの令旨により再建され、寺号も現在の「須賀山 正智院 円明寺」に改められました。
境内の施設
山門
住宅や商店が立ち並ぶ生活感あふれる街の中に円明寺は存在しています。
そのような立地条件も影響してか、地元の方からは「和気の円明さん」と呼ばれ親しまれているそうです。
「和気(わけ)」という一風変わった地名は、4~5世紀の大和時代に「和気氏」という豪族がこの地域に定住したことがきっかけで名づけられたようです。
本堂|米国人が発見した四国霊場最古の銅板納札
大正13年(1921年)3月、四国遍路をしていたアメリカ・シカゴ大学のスタール博士が円明寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に古びた銅板納札が打ち付けてあったのを発見しました。
この納札には、江戸時代初期にあたる慶安3年(1650年)の銘があり、四国霊場最古の銅板納札として世に紹介されました。
また歴史上初めて「遍路」の文字が記されていることなどから、その歴史的価値は高いものであり、現在もなお円明寺にて大切に保管されています。
銅板の画像は下のページから閲覧できます↓
その他にも、行い悪い人が見ると目が光るという5mほどの彫り物「左甚五郎作の龍」が本堂の天井近くに居ます。
大師堂
山門から入って、左手側に建てられています。
屋根や柱に鯱(しゃちほこ)、鳳凰、竜、虎などの様々な動物が彫られており、ちょっとした動物園みたくなっていたのが印象的でした。
キリシタン灯籠(マリア観音)
大師堂左の塀ぎわにある、高さ40cmほどの灯籠。
キリシタン禁制の時代、愛媛県には「隠れキリシタン」が数多く存在していたといわれています。
円明寺ではそんな隠れ信者の礼拝を黙認しており、このキリシタン灯籠はその信仰に使われていたという説が残っています。
正直、そういわれなければキリスト教のものとは分からないですね。
弾圧されている他宗教を受け入れるなんて、めっちゃ寛容なお寺やん。優しい!
世界もみんな認め合えば平和になると思うのだけれどなぁ~
円明寺へのアクセス
〒799-2656
愛媛県松山市和気町1-182
その他情報
寺名 | 須賀山 正智院 円明寺 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 天平勝宝元年(749年) |
開祖 | 行基 |
真言 | おん あみりた ていせい からうん |
ご詠歌 | 来迎の 弥陀の光の 圓明寺 照りそう影は 夜な夜なの月 |
駐車場 | 普通10台・大型3台 午前7時〜午後5時・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 089-978-1129 |
前後の札所
52 太山寺 -- (2.5km)-- 53 圓明寺 -- (34.4km)-- 54 延命寺
by.ひだりゅー
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