どうも、ひだりゅー(@dakahi3776)です。
今回紹介する52番札所「太山寺(たいさんじ)」は、「一夜建立伝説」が残る本堂が見ものとなっています。
また、納経所から本堂・大師堂までの距離が長いのも特徴的で、一回目の人は迷ってしまうかも?
ちなみにこの札所から、破損のため使用カメラがiPhone 5cからXpedia Z4に変わっています。
(参拝した日:2015年10月21日)
目次
太山寺の歴史|一夜建立伝説
飛鳥時代、神のお告げを受けて以来運が開けて大富豪となった真野の長者という男が豊後(現在の大分県)に住んでいました。
用明2年(587年)、商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、長者が平素から信仰する観音に無事を祈願したところ、山頂から光が差し嵐が静まり、無事高浜の港に着岸しました。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)がありました。
長者は、これに深く感謝し感謝し、礼を尽くすため立派なお堂を建てる事を決意。
早速、豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にして間口66尺、奥行き81尺の本堂を建立したということである。
それ以来、太山寺は「一夜建立の御堂」と伝えられています。
その後、天平11年(739年)聖武天皇の勅願をうけて、行基によって十一面観音が彫られ、その胎内に真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたとされます。
寺が隆盛したのは、聖武天皇の娘である孝謙天皇のころで、天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられています。
弘法大師が太山寺に訪れたのは晩年のことで、護摩供の修法をしたとされています。
境内の施設
3つの山門
太山寺には合計3つの山門が参拝者を迎え入れてくれます。
まず1955年(昭和30年)に再建された冠木門に切妻屋根を架けた簡素な「一の門」がお出迎え。
一の門から本堂までは0.8kmありますので、まだまだ頑張りましょう!
ちなみにバス停になっています。
続いて二の門。2にかけているのか、仁王門となっています(笑)
鎌倉時代後期、1305年に再建された入母屋造八脚門で国の重要文化財に指定されています。
ここもバス停になっており、この門の先が納経所と駐車場です。
三の門は、後述する納経所の奥に伸びる参道を進み、長い階段を上った先で我々を待ち構えていました。
江戸時代、1683年再建された入母屋造楼門。
この門の奥に本堂、大師堂などが建っています。
参道|納経所から本堂まで250m
太山寺は四国霊場では珍しく、本堂が納経所から離れた場所にあります。
案内看板にはその距離は「250m」と書かれており、参道沿いには十三仏石像、手水場、そして境内のはずなのに民家が数軒並んでいました。
なお、参拝者は車で通過することは出来ず、お遍路さんはみな納経所前からここを歩くことになります。
本堂|国宝。真言密教の本堂としては最大級。
真野長者の「一夜建立の御堂」から数えて3代目で、鎌倉時代後期、1305年に伊予国の守護だった河野氏によって再建されたものです。
真言密教の本堂としては最大級で、国宝に指定されています。
現本尊像は平安時代後期の作で重要文化財に指定されています。
その他、歴代6人の天皇から奉納されたと伝えられる6躯の十一面観音像も本堂内宮殿の左右の間に安置されており、こちらも重要文化財とされています。
大師堂
1884年に再建。大師像を拝顔出来ます。
三の門をくぐって、左手に進んだところに建っています。
大師堂近くにある「身代観音」は元々奥の院「経ヶ森」にあったものですが、2001年の芸予地震で石像が崩れたため、修復された上でこちらにやってきたものだそうです。
太山寺へのアクセス
〒799-2662
愛媛県松山市太山寺町1730
その他情報
寺名 | 龍雲山 護持院 太山寺 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建 | 六世紀後半 |
開祖 | 真野長者 |
真言 | おん まか きゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 太山に 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし |
駐車場 | 普通50台 大型5台(普通車がない場合) 終日・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 089-978-0329 |
前後の札所
51 石手寺【前編・後編】 -- (10.7km)-- 52 太山寺 -- (2.5km)-- 53 圓明寺
by.ひだりゅー
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