どうも、ひだりゅー(@dakahi3776)でございます。
またまた、ヤバい記事が出来上がってしまいましたwww
今回紹介する51番札所「石手寺(いしてじ)」は、道後温泉からも近く、国宝含む多くの貴重な建築物や、マントラ洞窟みたいなちょっと怪しい施設などの存在からミシュランガイドの一つ星を獲得した迷スポットであります。
また、遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもあることから、観光客もお遍路さん、どちらも楽しめる場所だと思います。
今回は、そんな石手寺を前後半の2部に分けて紹介していきます!
では、どうぞ~
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(参拝した日:2015年10月18日)
目次
石手寺の由来|右衛門三郎再来の説話
寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の豪族、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀りました。
これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基。
創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗でしたが、弘仁4年(813年)に弘法大師が訪れた際に真言宗へと改められました。
石手寺の名前の由来は、四国遍路の第1号と言われる衛門三郎の輪廻転生が由来となります。
弘法大師にへの罪を償うために、大師を追いかける形で四国を23回もグルグルと四国を廻り続けた衛門三郎でしたが、とうとう出会えないまま徳島の焼山寺で力尽きてしまいます。
もはや死を待つだけの衛門三郎の眼前に弘法大師が突如現れ、彼の罪を赦し、願いを一つ叶えることを約束しました。
その問いに対し、「大名に生まれ変わり、人々のために尽くしたい」と願い出をした衛門三郎に、大師は小石に梵字を書き、死にゆく彼の右手に握らせました。
月日は流れ、寛平4年(892年)伊予の豪族・河野家で右手に石を握って男の子が生まれました。
瞬く間にこの話は広がり、生まれ変わった衛門三郎が持っていた石が納められたこの寺は、民衆から「石手寺」と呼ばれるようになったのです。
なんか、めちゃくちゃロマンティックなお話ですね・・・グスン。
境内の施設
洗い石
石手寺の入り口にある小さな石橋。別名「弘法大師お道開きの橋」。
弘法大師が渡ったとされる橋で、後は誰も渡ってはいけないと言われています。
洗い石の近くには、初めて四国遍路を行った衛門三郎の巡礼の様子をあらわす像があります。
参道|五十一番食堂の「やきもち」が絶品すぎてヤバい!
石手寺の参道には、観光客向けのお土産屋がズラリと並んでいます。
私が夕方に行ったこともあってか、閉まっている店も多かったのが残念!
賑わっている時にまたここを歩いてみたいものであります。
さて、参道沿いにある五十一番食堂。
そこで長年提供されている石手寺名物「やきもち」は、昔から変わらぬ製法と味を守り続け、地元の方や多くの観光客やお遍路さんに愛され続けています。
元々は、農家の人々が石手寺に奉納したお米を有効活用するために米粉にしてやきもちを作ったことが始まりなんですって!
参拝の帰りに国産のヨモギを使った緑色、米粉のみの白色のものをそれぞれ1個ずつ、計2個購入して実食。
米が焼けた香ばしい香りと男性でも食べられる程よい甘さとが旅の疲れを癒やしてくれます。
お値段は1個70円とおトクなので、石手寺に行った際はぜひぜひ食べてみて下さい!
仁王門|国宝。元自衛官にはキツイ言葉も・・・
参道を抜けた先に重層入母屋造本瓦葺のデカい仁王門が参拝者を迎え入れました。
鎌倉時代、1318年に建てられた運慶の傑作で「国宝」に指定されています。
門の前には、仏陀の教えをまとめた二種類の教本が無料配布されていました。
一冊目は「真の仏教と日本国憲法の理想」
通称赤版
2冊めは、「本来の仏教 ブッダの真実」
通称ピカチュウバージョン
一応、二冊とも持って帰って読みましたが、正直ドギツい内容でしたね(苦笑)
まあ、色々と考えさせられはしたので、別にいいのですがw
ドギツい関連で言えば、仁王門に立て掛けられていたこちらも中々↓
自衛隊完全否定!?
元自衛官としては、なんともまぁ心の痛む文章が看板にデカデカと書かれていましたわw
ほかの四国霊場はどこも中立的な雰囲気ばかりだったのに対し、石手寺の境内にある種に偏った政治的扇動の文章が多いと感じたのは僕だけでしょうか?
本堂
鎌倉末期に完成。単層入母屋造りで国の重要文化財に指定されています。
毎年、10月下旬から11月上旬にかけて、本堂内拝をし本尊を拝顔出来ます。
個人的には、本堂そのものよりも階段途中にあった黄金の巨大三鈷杵の方がインパクトがヤバかったw
大師堂(落書き堂)|漱石も落書きした壁にあのキャラクターが・・・
一見、普通の大師堂にしか見えませんが、ここは四国霊場でも特異な建物であります。
お堂の裏手に回れば、その理由が一発でわかります。
そう、石手寺の大師堂はなんと落書きが出来るのです!
かつては壁に夏目漱石や正岡子規など、多くの文化人の落書きが記されていたのですが、残念ながら第二次大戦中に塗りなおされしまいました。もったいない。
さて、その伝統を引き継いで、現在でも多種多様の落書きが壁に残されているのですが、個人的に気になったのか下のこちら↓
D社の著作権ネズミおるやんけwww
落書き堂もあの絶対的圧力に屈する日が来るのだろうか・・・ハハッ!
前後の札所
50 繁多寺 -- (2.8km)-- 51 石手寺【前編・後編】 -- (10.7km)-- 52 太山寺
by.ひだりゅー
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