どうも、ひだりゅー(@dakahi3776)です。
さて、僕のLINEアイコンや姉妹サイト「ひだりゅー通信局」などで度々使っていた上の画像ですが、実はここ46番札所浄瑠璃寺(じょうるりじ)で撮影したものだったりもします。
ここは松山市内にある八つの寺の打ち始めです。
樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシンをはじめとした見どころが満載です。
(参拝した日:2015年10月18日)
目次
浄瑠璃寺の歴史
寺伝によれば、和銅元年(708年)に奈良の大仏開眼を前にした布教に訪れた行基が仏法を修行する適地として伽藍を建立、本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩、眷属として十二神将を刻んで安置して開基したと言われています。
寺名は薬師如来がいるとされる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだものとなっています。
弘法大師が浄瑠璃寺を訪れたのは、それから100年後の大同2年(807年)。
彼はこの寺を再興し、四国霊場の一寺としたと伝えられています。
室町時代末期には足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依しました。
江戸時代の正徳5年(1715年)山火事で焼失し、本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失。
それから70年後の天明5年(1785年)、住職・堯音(ぎょうおん)が托鉢をしながら全国を行脚し、その浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興させ、現代に至ります。
境内の施設
古木の立ち並ぶ参道|樹齢千年の大樹
このあたりは四国遍路の元祖といわれる右衛門三郎の故郷(→詳細は12番札所焼山寺「杖杉庵」の項目にて)として知られています。
参道入口の石段左には、松山市の俳人・正岡子規が詠んだ「永き日や衛門三郎浄るり寺」の句碑が、参拝者をお出迎え♪
画像右手に写るイブキビャクシンの大木は樹齢1000年を超えるともいわれており、松山市の天然記念物にも指定されています。
イブキビャクシンの根本には「籾大師(もみだいし)」の石像が設置されていました。
本堂|奉納された大量の折り紙
浄瑠璃寺の本堂は参道の突き当りに建っています。
お賽銭箱前には「浄瑠璃寺の歴史」に貼った画像でわかるように、折り鶴など折り紙が納められていました。
あれだけ大量にあるのは、四国霊場でも珍しいですね。
せっかく購入したということで、45番札所「岩屋寺」にてゲットした般若心経の絵文字手拭いで読経を試みる。
絵がついたことにより、かえって読みにくくなった気がするのは僕だけでしょうか?笑
まあ、オシャレだからいいか!気にしない!
大師堂
大師堂は、本堂右手に建っていました。
周りは樹木で覆われているため、ツアー遍路などで参拝者がたくさんいるときは、上の画像みたいに葉っぱの中で読経する羽目になりますw
佛の足跡(仏足石)|踏みなさい。
境内にある平たい大石。
仏足石の上には説明文が書いてある板が置いてあったのですが・・・
上記のように「ハダシで踏みなさい」とまさかの命令口調!?
まあ、命令された以上は踏みますけどね。
踏んでみて気がついたのですが、仏様、足がめっちゃデケェwww
僕の靴のサイズが26センチなのですが、この足跡は確実にその3倍は大きいですね・・・
説法石|おかけ下さい。
お釈迦様が説法し修行したインドの霊鷲山の石が中央の模様の中に埋め込まれた横長の岩。座れます。
↑これが埋め込まれた霊鷲山の石。
なお、説法石にも説明書きの板があるのですが、こっちは「おかけ下さい」と丁寧口調になっており、仏足石とのギャップに草生えました。
最後に上の写真が「ひだりゅーアイコン」の元画像となっています。
アイコンに設定するぐらいにお気に入り画像だったりします。
浄瑠璃寺へのアクセス
〒791-1133
愛媛県松山市浄瑠璃町282(公式HPより)
その他情報
寺名 | 医王山 養珠院 浄瑠璃寺 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建 | 和銅元年(708) |
開祖 | 行基 |
真言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
ご詠歌 | 極楽の 浄瑠璃世界 たくらへば 受くる苦楽は 報いならまし |
駐車場 | 普通10台・用事済み次第・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 089-963-0279 |
前後の札所
45 岩屋寺【前編・後編】 -- (29.5km)-- 46 浄瑠璃寺 -- (0.9km)-- 47 八坂寺
by.ひだりゅー
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