44番札所大寶寺(だいほうじ)の参拝を終えれば、ようやく四国88ヶ所も折り返し地点となります。
ここは四国霊場のちょうど半分にあたるため、「中札所」ともいわれていんですって。
いやはや、まだまだ先は長いですが、勢いに乗って頑張っていきましょう!
(参拝した日:2015年10月18日)
大寶寺の歴史・縁起
寺伝によると古墳時代、百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置したのが始まりです。
大宝元年(701年)に安芸から来た明神右京、隼人の兄弟の猟師が菅草のなかにあったその観音像を見つけて草庵を建てて祀りました。
ときの文武天皇は奏上を聞き、勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建しました。
それから120年ほど経った弘仁13年(822年)、弘法大師がこの地を訪れ、密教の修行を行い、大寶寺を四国霊場の中札所と定めます。
また、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めたそうです。
仁平2年(1152年)に失火により寺は焼失します
が、4年後の保元元年(1156年)、後白河天皇が脳の病気平癒を祈願したところ病が治ったため、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としました。
その後、長宗我部元親のその後「天正の兵火」で再び焼失するも、元禄年間(1688年~1704年)に、松山藩主の支援で雲秀法師が再興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなりました。
明治7年(1874年)には、まさかの三度目の全焼を経験しますが、地元の人々によって再興を果たします。
このお寺燃えてばっかりですね、はい。
境内の施設
高原ならではの霧模様
石鎚山や四国カルストなどの見どころが多い「四国の軽井沢」こと久万高原町。
この日、その標高とまだ朝の8時ということもあってか、境内は霧に包まれ神秘的かつ妖艶な雰囲気に包み込まれていました。
冬に来ると手水鉢に入った水が凍っていたりもするそうです。うわぁ・・・
山門
室町時代に造られた入母屋造楼門。
馬鹿でかい草鞋が参拝者をお出迎えしてくれます。
車道を境内方向へ進むと、左手に古びた木の祠があり、その脇に伸びる道を登っていくと山門が建っています。
なお、僕が撮った写真は消えていた模様。悲しい・・・
本堂
四国霊場では珍しく、開基が僧侶ではなく「明神右京・隼人」の猟師兄弟となっています。
明治7年(1874年)に火災で全焼、現在のお堂は1925年に再建されたものです。
建物のサイズが結構大きいので本堂全景を写真に収めることができなかったのが、心残り。
大師堂
総檜造りで、1984年に再建されました。
こちらもかなり大きな建物となっていますので、写真撮るのが大変だった記憶が。
大寶寺へのアクセス
〒791-1205
愛媛県浮穴郡久万高原町菅生1173
その他情報
寺名 | 菅生山 大覚院 大寶寺 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建 | 大宝元年(701) |
開祖 | 明神右京・隼人 |
真言 | おん まか きゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の 誓いをぞまつ |
駐車場 | 普通20台・マイクロバス5台・大型3台 午前7時〜午後5時・無料 |
宿坊 | あり(150人・要予約) |
電話 | 0892-21-0044 |
前後の札所
43 明石寺 -- (67.2km)-- 44 大寶寺 -- (8.4km)-- 45 岩屋寺【前編・後編】
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