あかしじ?
あかしでら?
兵庫県明石市のイメージが強くて、自分は初見でこういう読み方をしていましたが、実は明石寺(めいせきじ)と読むんですって。
まあ、読めなくもないけれども・・・わかりませんですわw
(参拝した日:2015年10月16日)
明石寺の歴史
縁起によると古墳時代後期である6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜571年)の勅願により、円手院正澄(正澄上人)が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るために創建したのが起源とされています。
なお、この縁起が本当ならば、飛鳥寺を追い抜いて日本最古の寺ということになります。やべぇよ…やべぇよ…
天平6年(734年)、役行者小角から5代目にあたる寿元という行者が紀州熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場としました。
弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁13年(822年)のこと。
荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇に報告して勅命を受け、金紙金泥の「法華経」を納めて、諸堂を再興しました。
鎌倉時代初期の建久5年(1194年)、源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉納。
経塚を築いて堂宇の修繕をし、山号の現光山を「源光山」に改めました。
以来、武士からの信仰が篤く、室町時代には領主・西園寺家の祈願所に、江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となりました。
なお、本来の名称は「あげいしじ」で、現在でも「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいるご年配の方々もいるそうです。
境内の施設
山門
明治34年(1901年)頃建築、国登録有形文化財。
全体的にドッシリと構えた造りとなっており、存在感がハンパなかったですね。
山門前の石段および石垣も国の有形文化財に指定されています(→当記事の一番最初に貼った写真)
本堂
明治23年(1890年)頃建築、国登録有形文化財。
屋根は唐破風造りで、左右両端が反るように天を向き、柔らかい曲線を描いています。
毎年、8月9日、本尊千手観音が開帳され堂内の諸仏を拝観出来ます。
本堂前の石垣と塀も国の有形文化財に指定されている古いものが残っています。(→「明石寺の歴史」で貼った写真)
大師堂
明治13年(1880年)建築、国登録有形文化財。
ここ明石寺では、ここで紹介した以外に地蔵堂、鐘楼堂、客殿、手水舎がその歴史的価値を認められて国の有形文化財に登録されています。
いやはや、歴史を感じさせる境内ですなぁ~
しあわせ観音
本堂裏手の山には西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」が鎮座しています。
しあわせ観音入口。
道沿いに西国三十三ヵ所(近畿地方と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称)の石像を配置してあります。
納経所で買った札を一枚一枚石像前の針金に通しながら進んでいくと、一番奥にしあわせ観音が鎮座していました。
身の丈2m余、長い袂着物姿で、左手に水瓶をもつ慈悲深いお顔の観音像です。
お賽銭を3枚入れると3倍の幸せが在るとのことなので、僕はもっと幸せが欲しくて硬貨10枚(100円)入れてみました。
が、欲張り過ぎが良くなかったのか別段変化はなかった模様。1000円返して(切望)
明石寺へのアクセス
〒797-0007
愛媛県西予市宇和町明石201
その他情報
寺名 | 源光山 円手院 明石寺 |
宗派 | 天台寺門宗 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建 | 六世紀前半 |
開祖 | 円手院正澄 |
真言 | おん ばざらたらま きりく そわか |
ご詠歌 | 聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石 |
駐車場 | 普通200台・終日・無料 |
宿坊 | なし |
電話 | 0894-62-0032 |
前後の札所
42 佛木寺 -- (10.6km)-- 43 明石寺 -- (67.2km)-- 44 大寶寺
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