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高知県(土佐)

33番札所 雪蹊寺|長宗我部元親ゆかりの寺。あの運慶も滞在?

2017/03/22

どうも、ひだりゅーです。

ここ雪蹊寺の寺名は、戦国大名「長宗我部元親」の法名が由来となっています。

また、かつては運慶親子が滞在したことから慶運寺とも呼ばれたことも。

(参拝した日:2015年10月11日)

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雪蹊寺の歴史・概要

寺伝によれば、弘法大師によって弘仁6年(815年)に創建され、当初は真言宗に属し、「高福寺」と称したといいます。

「土佐国編年紀事略」では嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとされています。

鎌倉時代に高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在。

運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、息子・湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、善膩師童子像を彫造して安置したとされています。

これらはすべて国の重要文化財に指定され、それが由縁となって慶運寺と名を改めました。

入り口

その後、廃寺となっていましたが、長宗我部元親が自らの宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖としました。

慶長4年(1599年)の元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から寺名を「雪蹊寺」と改めました。

「南学発祥の道場」ともいわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生み出します。

明治時代になると廃仏毀釈により一時廃寺となりましたが、大玄和尚が復興。現在に至ります。

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境内の施設

本堂

本堂

平成16年に改築されたばかりの本堂。

四国八十八ヶ所霊場公式ホームページの第33番札所 高福山 雪蹊寺だと全く別の建物が本堂になっているのですが、多分あちらが改装前の古い写真を使っているのだと思われます。

大師堂

大師堂

明治43年に建立。

現在の高知市の中心地は「高知城」がある少し内陸に入った地域になっていますが、江戸時代に入るまでは元親の居城「浦戸城」があり、海沿いの港もあるここ「雪蹊寺」近くの地域だったそうです。

歌詠み幽霊の伝説

雪蹊寺の中興の祖、月峰和尚には幽霊とのやりとりの伝説があります。

ある時、和歌の上の句に悩んで亡くなった者が成仏できずに、荒れた雪蹊寺に幽霊として住み着きました。

(↑凄いヘンテコな死に方で草生えるw)

月峰は近隣の住民に「妖怪が出るので近づかないほうがよい」と言われますが、意に介さず寺で寝泊まりすることに。

初日に月峰が境内で座禅を組んでいると、泣き声とともに「水も浮き世という所かな」という下の句が聞こえました。

悩み苦しむ幽霊を憐れんだ月峰は翌晩までに上の句を考えて、翌晩も座禅を組んで霊が現れるのを待ちました。

すると、幽霊の声がしたので、「墨染めを洗えば波も衣きて水も浮き世という所かな」と詠んだ。

月峰が詠んだ上の句の出来に満足したのか幽霊の泣き声はそれ以降しなくなりました。

その話をきいた戦国大名の長宗我部元親は、月峰に廃寺と化していた雪蹊寺の住職になるように頼み、代わりに寺院を立派に建て直しました。

こうして、立派になった雪蹊寺は現代も霊場として多くの人々の信仰を集めているのです。

雪蹊寺へのアクセス

〒781-0270
高知県高知市長浜857-3

その他情報

寺名 高福山 雪蹊寺
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建 弘仁6年(815)
開祖 弘法大師
真言 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌 旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月
駐車場 普通10台・マイクロバス5台・大型3台
午前6時〜午後6時・無料
宿坊 なし
電話 088-837-2233

前後の札所

 

32 禅師峰寺 --(7.5km:渡船経由)-- 33 雪蹊寺 -- (6.3km)-- 34 種間寺

 

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