どうも、ひだりゅーです。
今回紹介する第19番札所「立江寺(たつえじ)は、高野山真言宗の別格本山。
「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られています。
(2015年10月7日参拝)
目次
立江寺の歴史
縁起によると、聖武天皇の勅願で天平19年(747年)、行基によって創建された。
勅命により行基が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。
これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立。
伽藍建立の地を選定するにあたり、一羽の自鷺が何処ともなく飛んできて九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり、行基に仏天の暗示として霊城を示したと伝えられている。
以来この橋に白鷺が止まっているときに橋を渡ると、仏罰を受けるといわれている。
弘仁6年(815年)、弘法大師が訪れた際、小さい本尊は失われる恐れがあるとして、一刀三礼して像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を刻み、本尊を胎内に収めた。
このときに寺名が立江寺と改められたと伝えられている。
天正年間(1573年~1593年)に長宗我部元親の兵火により全焼。
だが本尊だけは奇しくも難を免れている。
その後徳島藩初代藩祖蜂須賀家政によって現在の地で復興。
昭和49年(1974年)に火災が発生、本堂が焼けたが本尊は救い出され、昭和52年(1977年)に再建された。
境内の施設
山門
入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。
寺の手前に架かるのが、行基が白鷺に暗示をうけたと伝えられる「白鷺橋」。
本堂
真言:おん かかかびさんまえい そわか
昭和52年に再建。
格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授ら40名余により花鳥風月などが描かれている。
これらは、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。
大師堂
出典:Wikipedia
より近くで撮影したもの。
多宝塔
大正7年建立。
上重は銅板葺き、初重は本瓦葺き。
肉付き鐘の緒の黒髪堂
大師堂右手にある小祠。
ここには以下の様な伝説がある。
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昔、お京という女が不倫相手・長蔵と協力して夫を殺し、讃岐丸亀(現在の香川県丸亀市)へ渡り自殺しようと試みるが二人とも気後れしてしまい失敗。
その後、後世のために四国巡拝を始めたお京と長蔵はここ立江寺へ寄ることとなった。
お京が地蔵尊を伏し拝まんとすると、彼女の黒髪突然逆立ち、鐘の緒に巻きあげられた。
あまりの事態に長蔵は狼狽し院主へ助けを求めた。
院主は罪の次第を問いただし、お京が不義を懺悔すれば、お京の黒髪は肉ごとむしり取られ鐘の緒に巻き付いたものの、辛じて命だけは助かった。
この後、両人改悛の心を起し発心出家して、当村田中山(現在のお京塚)というところに庵をむすび一心に地蔵尊を念じ生涯を終わったそうだ。
怖っ!エグすぎるやろ!
この時、鐘の緒に巻きあげられたお京の髪の毛は、お堂内に現在でも残っているそうだ。
では、見てみようか・・・
マジでくっついとるやんけ(ガクブル)
なんというか、もはや心霊スポットですね、はい。
おまけ
マスコット・こうやくん
か、かわいいw
家で飼いたいですわぁ~w
握撃ッ!?修行大師と固い握手!
本堂内には木製の修行大師が握手を求めていました。
私はもちろんこれを・・・
ひだりゅー「やだなぁ~冗談ですよ~」
私は改めて大師に握手をすると・・・
大師「許さん!」
大師はものすごくご立腹だったらしく、手が握りつぶされん勢いで握り返されました。
「もう大師をからかったりしないよ。」
私は不義をものすごく懺悔した。
立江寺へのアクセス
〒773-0017
徳島県小松島市立江町若松13
JR南小松島から西へ進み日開野町交差点で左折して国道55号線を南へ。標識に従って右折し、道案内に従って進みます。
その他情報
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 延命地蔵菩薩 |
創建 | 天平19年(747) |
真言 | おん かかかび さんまえい そわか |
ご詠歌 | いつかさて 西の住居の わが立江 弘誓の船に 乗りていたらん |
駐車場 | 普通30台(300円)・ マイクロバス5台(1000円) 大型6台(1000円) 各一回 ・他に無料駐車場がある |
宿坊 | あり(200人) |
HP | 四国霊場第十九番札所立江寺|安産祈願、水子供養、永代供養 |
前後の札所
18 恩山寺 -- (4.0km)-- 19 立江寺 -- (13.1km)-- 20 鶴林寺
by.元自衛官@ひだりゅー
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