どうも、ひだりゅーです。
今回紹介するのは、修善寺温泉街の中心地にあり、1200年以上の歴史を誇る修禅寺。
なお、同じ「しゅぜんじ」の読み方でも
・寺院→修「禅」寺
・温泉→修「善」寺
と、それぞれ別の漢字となりますので、ネットで検索する際はお気をつけください。
では、どうぞ~
★観光した日
2016年1月5日
修禅寺の歴史
正式な呼称を「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)」、略して福地山修禅寺と呼んでいます。
大同2年(807年)、空海(弘法大師)に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました。
周辺の地名が桂谷であったことから桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。
源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉された後、この地で殺害されたとしても知られています。
建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が避難のために入山し、臨済宗に改宗。臨済時代は二百数十年間続きました。
その後、1361年(康安元年)の畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受け、更に1409年(応永9年)の大火災で伽藍が全焼。
やがて室町時代(1489年)に韮山城主北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を住職として遠州の石雲院から招き、曹洞宗に改宗。
文久3年(1863年)に再び伽藍や宝物の多くを焼失、明治13年から同20年にかけて本堂などを再建しました。
この頃には、夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修禅寺物語」など、小説や物語の舞台として度々取り上げられてきました。
そして、2007年(平成19年)には開創1200年祭が行われました。
実際に行ってみた!
山門
2014年に改修工事が完了。
この工事で指月殿へ移されていた「金剛力士像」が寺の入口の守護として山門脇に再び配置されました。
温泉が湧く手水舎「大師の湯」
山門から入って右手には、手水舎があります。
が、ここは他のお寺と一風変わっており、なんと・・・
温泉が湧いています。(しかも飲めます!)
「桂谷霊泉・大師の湯」と名付けられたこの手水舎は、参拝者の手を空海さながらに温めていました。
ちなみに僕が飲んでみたところ無味無臭でした。
本堂
現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものであります。
建物自体はそれほど大きくありませんが、シャープで美しい造りは一見の価値ありですね。
おまけ・ヤギおるやんけ【2018.2.5追記分】
修禅寺のHPで確認すると、修禅寺の裏山にある「修禅寺平和観音」へ行く途中にヤギが飼われている小屋があるらしいです。
というわけで、行ってみましょ~
↑こちらがヤギ小屋に行くための入口。
修禅寺本堂正面から見て左側になります。
先程の場所を登ってすぐ左手にヤギのいる広場「寺山公園」があります。
2016年4月に3匹の子ヤギが生まれ、現在5匹のヤギの親子が居るそうです。
みんな人馴れしており、撫でても嫌そうにしていなくて嬉しかったです。
寺山公園には、ヤギの親子の他にウサギの小屋が設置されていました。
この子らは触れることは出来ませんでしたが、見ていて癒やされたので良き!
当ページを閲覧してから観光する方は、ぜひ忘れずにヤギの家族に会いましょうw
アクセス
所在地:静岡県伊豆市修善寺964
個人的評価
★★★
(Bランク:一般的観光地)
以下、評価理由
・修善寺温泉街からアクセスが良好
・温泉が出る手水舎
・1200年の歴史
・シャープな造りの本堂
・可愛らしいヤギのいる広場
なお、ヤギの親子は見ていないので評価対象外です。
終わりに
以上が、夏目漱石も愛した「修禅寺」の観光レビュー記事となります。
修善寺温泉でひとっ風呂浴びてから、浴衣姿で参拝してみるのも風情があっていいかもしれませんね。
上にも書きましたが、ヤギの親子に会えなかったのは完全に不覚でした。
次、行った時は一緒に戯れたいぜぇ~
寺山公園のヤギたちは大人しくて可愛かったです。
また、一緒に遊びたいですねぇ~
by.ひだりゅー
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