どうも、ひだりゅーです。
さて、現在の富士山登山道は
・吉田ルート
・須走ルート
・御殿場ルート
・富士宮ルート
が4大ルートとしてよく知られています。
実はこれらとは別に江戸時代まで西側からの登山者からよく使われていた富士山村山口登山道が存在します。
今回の記事では、その幻の登山ルートの要所「村山浅間神社」にスポットを当てたいと思います。
★観光した日→2013/12/18(日本一周中)
→2015/09/23(富士山下山後・山梨静岡旅行中)
目次
村山浅間神社の概要
歴史
村山は、富士山における修験道の中心地であり、その勢いは浅間本宮大社と拮抗する程でありました。
武家からも厚く保護され、今川義元や豊臣秀吉、江戸時代に入ってからは将軍家などから寄進が記録されています。
明治時代の廃仏毀釈運動により登山者が大きく減少。
追い打ちをかけるように1906年(明治39年)に新大宮口(現在の富士宮ルート)が開かれ、衰退の一途を辿りました。
2013年(平成25年)6月22日に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録。
修験道って?
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする宗教。
日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混交宗教であります。
この山岳修行者のことを修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼びます。
彼らが信仰する神々の中には、日本ではおなじみの「天狗」も含まれます。
明治元年(1868年)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令が出され、修験道は禁止に。
また廃仏毀釈により、修験道の信仰に関するものが破壊されました。
現在では神道系教団として、御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などが修験道の流れを組む宗教として残っています。
では、村山浅間神社へレッツゴー!
鳥居と社殿
鳥居。
周辺はのどかな住宅地となっています。
社殿。
神仏分離によって境内社富士浅間七社を相殿として造られました。
中座に木花開耶姫、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っています。
静岡県指定天然記念物のイチョウ
静岡県指定天然記念物にも選ばれた「村山浅間神社のイチョウ」。
社殿の近くに植えられています。
下の画像で写っている家族連れと比較してもらえればわかりますが、結構デカイです。
富士山興法寺大日堂
明治初年まで存在した興法寺の中心的な建造物。
建物内には、木造大日如来坐像や役行者像が祀られています。
また、柱には富士峰修行の打札が残っており、かつての修験信仰の面影を強く伝えています。
幻の登山道・・・?
社殿右手の細い道を進んでいくと、小さな社が建っていました。
さらに進むと、森の中に道がありました。
もしかしたら、これが幻の登山道「富士山村山口登山道」なのでしょうか・・・?
その謎を抱えたまま僕はこの村山を後にしました。
アクセス
所在地:静岡県富士宮市村山1151
個人的評価
★
(Dランク・観光するほどでもない)
以下、評価理由
・パッと見では普通の神社
・著者に富士講の知識が無いので
・イチョウのシーズンを逃したので
あくまでも観光地として行くほどでも無いというだけで、富士山信仰においてはかなり重要なスポットであると思います。
終わりに
以上が幻の登山道「富士山村山口登山道」の要所「村山浅間神社」のレビュー記事となります。
書きそびれましたが、調べてみるとこの神社はパワースポットでもあるそうですね。
個人的には修験道で盛り上がっている時代にここへ行きたかったですね。
もしそういう祭りのあとの静けさみたいなものが好きな方。
もしくは富士山信仰に興味がある方は行ってみてはいかがでしょうか?
by.ひだりゅー